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曹操VSカク

「張繍の叛逆です」 
「諸将に報せよ」と言った曹操の顔から血の気が引いた。本営にいる兵力は張繍軍の十分の一にすぎない。諸将は配置について宛へむかって兵を前進させる態勢にはいっている。先陣の一部はおそらく渡渉をはじめたであろう。異変を知った諸将が救援にくるまで、この本営はもたない、というのが曹操の直感であった。
… 「父上、お捜ししましたぞ」 
馬上の声の主は曹昴であった。曹昴が単騎であるということは、この戦いの悲惨さを物語っている。彼はすばやく馬をおりると、 
「さあ、早くお乗りください」 
「昴よ、そなたはどうするのか」 
「従の者の馬をみつけます」 
「馬はいらぬ、ふたりで奔ろうではないか」 
曹操はあたりに自軍の兵がみあたらぬので、ここに曹昴をのこしてゆくことに不安をおぼえた。 
「なにを申されますか。父上は大将なのです」
 曹昴は剣の柄で馬の尻を打った。馬は跳ねた。落馬しそうになった曹操が体勢をたてなおしたとき馬は疾走しはじめた。ふりかえった曹操の目に、砂塵に消えてゆくひとつの人影が見えた。 
昴よ、死ぬな! 

三国志5 宮城谷昌光p.118.




劉備

礼にきた劉備はからだを小さくして、
「過分なおもてなしにおちつきません。わたしは豫州のためになにもしておらぬのに州牧となり、徐州の民をすてるのが、心苦しくてなりません。どうか天子と公のめぐみが徐州の民にとどくように、わたしをおつかいください」 
と、声まで恐縮させて言った。劉備をおいだした呂布は、かってに徐州牧と称しているらしい。その呂布と戦って徐州をとりもどしたい、と劉備は言ったのである。 
どうするかな。 
曹操の考えとしては呂布とはいつか戦わねばならないが、それはいまではない。曹操には軍事的懸案がある。荊州の南陽郡が劉表の勢力圏にあるかぎり、南陽郡から発する軍に帝都が衝かれることがありうるのだ。南陽郡で交通の要地は三つあるが、宛県さえおさえてしまえば荊州軍の北上をふせぐことができる。 
宛県を取らねばならぬ。 

三国志5 宮城谷昌光p.107.




カクカ

ジュンイクが推薦した逸材はほかにもいる。 郭嘉という若い才能もそのひとりである。 
… 袁本初は、漢の高祖が陳平を見抜いた故事を知らぬのか。 
陳平は楚軍の降兵であった。七人の者に食事をあたえて向顔をゆるした高祖は、陳平の異才を見抜き、その日のうちに車の陪乗者とし、都尉の官をあたえたという。高祖には非凡な洞察力があり、それは神がかりといってよいが、あらたに天下の主となるものにはその程度の不思議さがあっても当然であろう。だが袁紹には人をひきよせる神秘がない。鼻持ちならない尊大さはないとはいえ、通俗的な常識家である、と郭嘉の目には映った。 
冀州はわたしの居るところではない。 
郭嘉は、袁紹の謀臣というべき辛評と郭図に、 
「そもそも知者は主となる者の器量をつまびらかにしておくものです。そうでなければすべての企てはまっとうされず、功名もたてられません。袁公はいたずらに周公旦にならって下士に腰を低くしていますが、人を用いる機微をご存じないとみえます。多端寡要、好謀無決といえます。ともに天下の大難を済おうとおもっても、覇王の業を定めることは難しいでしょう」 
と、言って冀州を去った。 それにしても多端寡要・好謀無決とは、袁紹の本質を実に的確に表現しているといえよう。多端は多忙、寡要はかんじんかなめが寡ないということなので、いくつもむだなことをやっているが大事なことがわかっておらず、謀を好むのになにひとつ決定しない、というわけである。
 … 暗雲がわずかに破れて光がこぼれ落ちてきたように、曹操から書翰がきた。 
曹公はわたしのことをご存じか。 
許にはいった郭嘉は、待たされることなく曹操に招待された。 
ぞんがい小さい人だな
と、郭嘉はおもったが、曹操の教養が尋常でないことがすぐにわかり、 
これは愉快だ
と感じた。こういう快適さは真の達識者と語るときにしか得られないものであり、対談をすすめてゆくうちに、
袁紹は学問をおろそかにしたのだ
と気づいた。学問の力とはけっきょく人を知る力である。それが袁紹にはない。 
対話を終えた曹操は、「わたしに大業を成さしむる者は、かならずこの人である」と、郭嘉に輔成の才をみて絶賛した。
郭嘉もうれしくてたまらず、「ようやく真の主をみつけた」と、言った。
郭嘉は曹操に遭わなければ隠者として終ったかもしれない。かれはすぐに司空の軍祭酒に任命された。軍事顧問であると想えばよい。 

三国志5 宮城谷昌光p.98.