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張松と法正その三

曹操がみずから軍を率いて三輔を鎮め、十万の西方諸将軍を痛撃して大破し、余勢を駆って涼州まで進撃したことに、劉璋は衝撃をうけた。
 これは益州攻略の手始めではないか。 
益州北部は三輔のなかの右扶風と京兆尹に接し、涼州にも接しているので、曹操の指図をうけた諸将が、北部の漢中郡の有力者にはたらきかけをおこなって、じわじわと蚕食するおそれがでてきた。
 劉璋がおちつきを失ったのをみた張松は、 
「曹公の兵は強く、天下無敵です。もしも張魯のたすけによって蜀をとりにくれば、たれがそれをふせげましょうや」 
と恫しをひそませて言った。 
「わかっている。わたしはそういう事態になることを憂いている。が、対応策が立たぬ」 
劉璋は恐懼の色をわずかにみせた。あまりこわがらせると、一戦もせずに降伏した劉琮とおなじ決断をしかねない。そうなってはこまる張松は、口調に明色をくわえた。 
「劉豫州は君と同じ族であり、曹公の深仇です。用兵にすぐれています。劉豫州に張魯を討たせれば、益州は強さを増しますので、曹公がきても何もできますまい」 
劉備に張魯を征伐させて、漢中郡に劉備軍をすえて防衛につかうという策である。 
「劉豫州はひきうけてくれるであろうか」 
「劉氏のなかで至尊であられる天子は、曹操のために檻にいれられているようなものであり、曹操の羈束をのがれているのは、あなたさまと劉豫州しかいません。いまや劉氏の危殆のときなのです。戮力せずにいられましょうか。法正をおつかわしになれば、かならず劉豫州は張魯を撲殄して、あなたさまに安和をもたらすでしょう」 
使者が法正でなければ、ここまでの張松の密計は水泡に帰してしまう。必死の説諭であった。 

三国志7 宮城谷昌光p.215.




張松と法正その二

法正は劉備の親書を携えて復命した。親書を読んだ劉璋は、 
「ふむ、ただ仁者のみよく人を好み、よく人をにくむというが、劉豫州がまさにそれであろう」 
と機嫌よく言い、通好のきっかけをつかんできた法正にみじかくねぎらいの言葉をあたえた。親書の内容を知らない法正は、 
やれやれ 
とひそかに安心した。しりぞいた法正はすぐに張松に会って、今夜訪ねる、とささやいた。 
夜、ふたりは密談した。 
「劉豫州に雄略あり」 
といきなり法正は言った。出発前とは眼光も語気もちがう。だから言ったではないかという顔つきの張松は、 
「荊州は劉玄徳の本拠にはならぬ。益州を奄有しなければ、曹操と孫権に対抗することはできぬ。それがわからぬ劉玄徳ではあるまい」 
と言って笑った。 
「下僚でさえいきいきと働いていた。下をみれば上がわかる。いまの蜀とはたいそうちがう」 
張松は指をあげて 
「その目でみたことが真実である。官民が豊かになるためには主を選ばねばならぬ。これは天の声よ」
 と強い声をだした。 
「天が益州の民を見捨てなければ、かならずよい時を与えてくれる。その時をわれわれが見逃せばほどなく滅ぶ。益州をとりそこなった劉玄徳も荊州で亡ぶ。天与の時はいつくるのか」 

三国志7 宮城谷昌光p.212.




張松と法正その一

張松は偉いな
と法正は素直に感じた。この地とこの民を愛する人が主になるべきである、と張松は信じきっている。その信念に共鳴しない者がこの地に住んでよいはずがない。 
法正は使者として発った。
 荊州は静泰であるようにみえたが、むろんこの静泰は、曹操・孫権・劉備という三者がもっている力の関係によって保たれている静態にすぎず、いつ動態に変わるかわからない。劉備の陸軍は曹操のそれに劣り、水軍は孫権に及ばない。荊州の物力は貧弱ではないものの、軍事的視点から見るとその地形はすぐれているわけではない。つまり劉備が独力で荊州を防衛するのはそうとうに難しいということである。劉備はそう自覚しているはずであり、益州との関係をどうするかについて考えていなければ、前途は閉塞してしまう。情勢の分析力、予見力などは、劉備に会ってみればわかると思っている法正は、州府に到着して、いきなり役人の出迎えをうけた。みちびかれた宿舎は貴賓のためのもので、法正への敬意にみちていた。 
わたしが軍議校尉であると知れば、あつかいを変えるのかな。 
ふと、そう考えた法正は接待の官吏に、 
「わたしは益州の別駕でも別駕従事でもない。軍議校尉にすぎないのです」 
と言ってみた。その官吏はべつにおどろかず、 
「先着の従のかたからうかがっています」 
と答えた。 
法正は翌日には劉備に謁見することができた。この会見を、政務に多忙である劉備が最優先にしたあかしである。 
「益州に交戦のひびきが聞こえるようになりました」 
と法正は曹操の遠征について語った。 
「援軍のことであろうか」 
「あなたさまは、たれをお援けになるのですか」
 「法孝直どのは益州牧の使者であろう。援けるとすれば益州牧の劉氏である」 
「わたしはそうは申しておりません」 
劉備は笑みをふくみながら法正をみている。 
「援けていただきたいのは、益州の人民を、です」
 この語気に濁りはない。張松の切望が、法正の真意となった。 

三国志7 宮城谷昌光p.207.