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はかりがたい心

張魯討伐を劉璋からまかされた劉備は、フ県を発したもののあえて急がずに軍を北上させた。ホウトウは、途次、たびたび進言をおこなった。
 「ひそかに精兵を選び、昼夜兼行で、成都を急襲しましょう。劉璋は武事にすぐれておらず、もとより備えなどはしていませんから、大軍を急行させれば一挙に平定することができます。これが上計なのです」 
しかし劉備はこの計に関心を示さなかった。ゆるやかであるが軍は進み、ついに広漢郡北部の葭萌県に到着した。すでに年はあらたまり、建安17年(212)となった。 
葭萌県の北に白水関があり、そこからは涼州へも漢中郡へもいける。さきに劉備は劉璋から、白水関の兵を随意におつかいください、といわれている。葭萌県にいたった劉備はまったく動かなくなった(この年の10月まで何もしなかった)。
10月、孫権から急使がきた。 
「曹公の軍が呉を攻めようとしています。どうか呉を救っていただきたい」
 真偽を確かめようがないホウトウは、 
これは主を益州からひきあげさせる策だ 
と思った。当然劉備もそう考えるはずであるから、遁辞をつかって使者をさらせるであろう、とホウトウはみた。ところが驚いたことに劉備は、
 「かならず呉へ参るでありましょう」 
と言って呉の使者を喜ばせた。ホウトウはあわてた。使者がさるとすぐに、 
「孫権の策略です。おかえりになってはなりません」 
と強く諫めた。しかし軍のむきをかえさせた劉備は、ホウトウの言を聞こうともせず、劉璋に急使を発した。
… 
劉備は荊州へひきあげるという。 
「つきましては一万の兵と軍資をお借りしたい」 
これを聞いて劉璋はむっとした。何といういいぐさであろうか。兵も資も貸すわけにはいかぬ、と言いたいところではあるが、劉璋は、
お求めに応じよう
と答えた。ただし与えたのは四千の兵であり、軍資は半分である。 劉備がひきあげると知った張松は驚き、 
「いま大事が立とうとしているのに、どうしてそれをすてて去ろうとなさるのですか」 
と書簡を送った。劉備に随行している法正にも書簡を送って、 
「劉豫州を帰還させてはならない」 
と説いた。しかし、諸葛亮とならぶ軍師中郎将であるホウトウでさえ翻意をうながすことができないのであるから、法正にはどうすることもできない。が、ここで事件がおこった。
… 
「弟(張松)に奸計があります」 
張粛は体貌にすぐれ、その挙止には威儀があるといわれたが、おこなったことといえば弟を売ったことであった。 赫怒した劉璋はすぐさま張松を捕えさせて、その顔を睨みすえた。 
「主を売り、州を売る、これ以上の罪があろうか」
 張松は目を上げて劉璋をみた。 
「民を殺し、州を廃す、これ以上の罪があろうか」
 「だまれ!この奸人を斬れ!」 
目をつりあげた劉璋はただちに張松を斬殺させると、白水関だけでなく、州内各関の戍衛に文書を送って、 
「二度と劉備に関わってはならぬ」 
と命じた。 
凶事を知った劉備はめずらしく激怒した。ホウトウに顔をむけた劉備は、 
「策にはかならず上中下があるものである。上の策はすでに聞いた。中と下の策を聞かせてもらおう」
 と厳しい口調で言った。 

三国志7 宮城谷昌光p.247.




会見

劉備がむかっているのは、蜀郡の成都ではなく、広漢郡のフ県である。そこで劉璋と会見することになっている。
江水をさかのぼってゆくと、巴郡の郡府がある江州県にいたる。その北にテンコウ県がある。その県とフ県とは、フ水でむすばれている。
成都からフ県までは360里(150km)であるから、劉璋は数日でフ県に到着したであろう。このときの劉璋は、歩兵と騎兵を三万余人率い、車にめぐらせた帳幔が陽光に美しく光った。 
「おお、よくぞ、よくぞ」 
劉璋は劉備の到着を声をあげて喜んだ。そのうしろに張松の冷静な目がある。 
会見の席で劉牧を殺せば、あらたな益州がはじまる
 と考えている張松は、劉備を先導してきた法正をひそかに招き、 
「会所において劉璋を襲うべきである、と申し上げよ」
と指図を与えた。劉備軍の営所にもどった法正は、内密なお話があります、とホウトウに張松の意望を伝えた。 
「なるほど、それを敢行すれば益州は一日で主のものとなる」 
すぐさまホウトウは劉備に密計を献じた。 
「孫堅と孫策はそのように障害を排除して勢力を拡大したのです。張松がそう言うかぎり、劉璋が急死しても動揺する蜀軍を抑えきる自信があるのです。これは天与の機です。のがしてはなりますまい」 
が、劉備は性急を嫌う。 
「これは大事であるからあわてるべからず」
 孫堅は名声を、孫策は江南の地を得たが、無理をしたせいでその終わりが悪い。だいいち曹操が会見の相手を暗殺したことがあるか。 
… 
「わたしのために劉豫州が戦ってくれるのだ。資給せずばなるまい」 
と言った劉璋は、米20万斛・馬千頭・車千乗・絹織物などを劉備に送り、蜀兵を付属させた。それにより劉備は三万の兵を指揮することになった。 
「わたしは成都に帰る。不備のないようにあとはたのんだぞ」 
と言いつけられた張松は、 これで劉備に会える と喜んだ。劉璋を見送った張松は物資の搬送を督促すると同時に、 
「ともに張魯を攻めるのだ。交歓の会をもとうではないか」 
と、蜀の将士に声をかけて、劉備の配下を招待させた。燕娯の時をもった劉備軍の将士は、 
「こんどはわれらが招待したい」 
と、蜀の将士を歓待し、もてなしの応酬がつづいた。その間に劉備に謁見した張松は、 
「法正をかいしてお願いしたことをおいれくださらなかったのは、あなたさまに深玄の心があるからでしょう。ほどなく大事が決行されると信じて、蜀についてはすべてを申し上げましょう」 
と述べ、蜀の闊狭の地・兵器・府庫・人馬の衆寡および諸要害と道里についてつぶさにおしえた。 
「あなたの厚情は生涯忘れぬ」 
感動した劉備は張松を厚くもてなした。劉備を観察した張松は、 
このひとの心ははかりがたい 
と不安をおぼえたので、帰り際に法正に会って、
 「まさかまともに張魯を攻めることにはなるまいが、途中で兵をかえして、成都を攻めるよう献策すべし。成都で会おう」 
と強く言った。ふたりは目で微笑を送りあって別れたが、運命の残酷さというべきか、再会することはできなかった。 

三国志7 宮城谷昌光p.222.




張松と法正その四

「益州牧の旨意を申し上げます」
 いよいよきたか 
と劉備は思ったが、益州攻略については意欲満々というわけではなかった。荊州は劉表が亡くなったあと、統治者が不在となったが、いま益州には正式な牧がいるのである。 ホウトウは世評に気をつかっている劉備に、 
「荊州は荒廃したままであり、すぐれた人物もいなくなりました。東に呉の孫権がいて、北に曹操がいます。このままでは鼎足の計が思い通りにいきますまい。益州は富み、兵も強い。戸口は百万もあり、四部隊はいつでもそろいます。宝貨を外に求める必要はなく、いまその地を借りて大事をお定めになるべきです」 
と強く進言した。 
「天下に信義を失うのは、わたしのとらぬところである」 
「権変の時代には、ひとつの道だけをみてすすめばよいというわけではありません。弱を兼ねて昧を攻めたのは五覇の業です。信義にさからっても、取ったものを正しく守ってゆき、義をもって報いてやり、事が定まったのち大国に封じてやれば、信義にそむいたことになりましょうか。今日取らなければ、ついには人(曹操)のために利することになります」 
信義にそむいても、そむいたことにならぬありかたがある。 
ホウトウの論の展開に、詭説とはいいきれない誠懇をみた劉備は、はじめて、 
益州を取ろうか 
と、益州のほうにまっすぐ目をむけて考えた。 
「おそれながら、お人払いを」 
と法正は言った。法正は劉璋の使者ではあるが、張松の使者でもある。左右の者をしりぞけた劉備は、
 「聴こう」 
と目容をあらためた。 
「あなたさまの英才をもって、劉牧の懦弱に乗じていただきたい。張松は州牧の股肱の臣ではありますが、内にあって響応します。そのあとで益州の殷富を資本として天府の険阻を馮めば、大業を成就させることは掌をかえすほどたやすいことです」 

三国志7 宮城谷昌光p.218.