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亡をおせ。

小沛にいる劉備から急報がとどけられた。呂布が袁術と交誼をおこない、呂布軍が沛城を包囲しているという。城兵は疲れ、もはや防ぎきれないという劉備の悲痛な声が書面にみちていた。 
「劉備を援けよ」 
曹操は迷わず夏侯惇に命令をくだして小沛へむかわせた。
… 高順は夏侯惇がくることを知ると、張遼に城の包囲をまかせて迎撃の陣をしき、一撃で夏侯惇を大破した。… 劉備はまたしても妻子をうち棄てて逃げた。敗報が許へ続々と到着した。 
「わたしが征かねばなるまい」
 曹操はたとうとした。が、諸将はいっせいに反対した。
「劉表と張繍がうしろにいるというのに、遠征して呂布を襲うのは危険すぎます」
 しかし荀攸の意見は違った。 
「劉表と張繍は安衆において敗れ、それからさほど月日が経っていないのですから両者はあえて動こうとしないでしょう。呂布は驍猛であるうえに、袁術をたのんでおり、もしも淮水と泗水の間を縦横に駆けられると、豪傑たちはかならずそれに応じます。呂布は朝廷に叛いたばかりであり、人々の心がひとつにまとまっていないこの時につけこめば、かならず呂布を破ることができます」 
袁紹とも劉表とも結べない呂布は孤立することを恐れて袁術に恃憑したが、荀攸にはそれが自滅の路に踏みだしたようにみえる。 
亡を推せ。 
というのが上古、殷の湯王の天下平定を佐けたチュウキのことばである。亡ぶ者をおして倒せばよい。それが王者の戦略であり、いまがそれにあたる。   

三国志5 宮城谷昌光p.211.




ショウヨウ

「もしかしたら、袁紹は関中を侵擾して、羌族などに叛乱をおこさせ、南は蜀と漢中の勢力にさそいをかけるかもしれぬ。そうなるとわたしはエン州と豫州だけで天下の六分の五を相手にせねばならなくなる。いったいどうすればよいか」 
げんに袁紹の外甥である高幹が并州をおさめており、并州の西隣の涼州に手をのばすことはむずかしくない。戦略家の目をもってすれば、そういう巨大な包囲陣がみえてくる。 

「関中には十を単位にして数えたほうがよいほど将帥がいますが、とてもひとつにまとまることはできません。そのなかで韓遂と馬騰がもっとも強く、かれらは山東で戦いが始まれば、かならずそれぞれ衆を擁して勢力を保全するでしょう。いまもしも恩徳をもってかれらを撫慰し、使者を遣って連和させれば、その状態を永続させるのはむずかしいとはいえ、公が山東を平定するまでは、かれらの動きを封じておけます。ショウヨウに西方のことをおまかせになれば公の憂いはなくなります」 
曹操と袁紹が戦うことになっても、韓遂と馬騰は勝敗をみきわめたいので、その戦いに加わるはずがないとジュンイクはみている。それゆえ曹操は西方勢力に強襲されることはないが、念のために先に手をうっておいたらどうか、とジュンイクは進言したのである。

三国志5 宮城谷昌光p.151.




エンショウを討ちたい。

北方の覇王として充実感のなかにいる袁紹にとって、ただひとつの懸念は曹操の動向であり、曹操が南陽郡の攻略にむかったと知って憮然としていたが、イクスイのほとりで大敗したと報されて、手を拍って喜びたくなった。 
ざまをみろ。 
それが曹操へ送った書簡のすべてであった。同時にこの書簡は絶交状でもあった。 
袁紹と戦わねばならぬ。 
曹操はこれまで袁術、陶謙、呂布などと戦ってきたが、袁紹はかれらより格が上である。曹操が動員できるのはエン州と豫州の兵であるのに対して、袁紹は四州(冀・青・幽・并)の兵を動かせる。 戦って勝てる相手ではない。 その現実が曹操を苛立たせていた。
だが往時、袁紹に仕えたことがあるジュンイクは、すこしまなざしを高くして未来を視ている。その未来には過去の実例が映っている。 
「古昔の成功と失敗からわかりますように、まことに才徳があれば、いま弱くてもかならず強くなり、才徳がなければいま強くてもあっけなく弱くなります。項羽と劉邦の存亡を観れば充分でしょう」
袁紹の外貌は寛大そうであるが内心ねたみをもち、人に事をまかせておきながら信用しない。鈍重で決断力に欠け、好機を見逃す欠点がある。士卒はおおいものの統率はゆるく、法令はあってもなきがごとしでかれらをすべて用いるのはむずかしい。門閥によりかかり、従容として知者のふりをして名声を集めている。それゆえ能力が乏しいくせに問答好きの者が多く帰属している。 
「才も徳も勝っている者が天子を輔け、正義の征伐を行えば従わない者がいましょうか。袁紹が強くてもなにができましょうか」 
この確信に満ちた人物比較と予見が曹操の憂鬱を払った。 

「先に呂布を討たなければ河北を攻略することはむずかしいとおもわれます」 

三国志5 宮城谷昌光p.139.