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暗殺は主義じゃあない。

劉備の才徳は計料しがたい。 
人というものに大いに関心がある曹操は、えたいの知れない人物にも関心をもった。劉備という容姿はたしかに眼前にあるが、じつはこれは幻影で、目に見えぬ所に本物の劉備がいるのではないか。それをおもしろく感じるか、うすきみわるく感じるかは人によって違うであろう。とにかく曹操は、 かつてこういう男をみたことがない ということだけで劉備を珍重した。
河内郡の攻略を終えて帰還した曹操は、外出するときは劉備とおなじ輿に乗り、坐るときは席を同じにした。劉備が殊に厚遇されているのを遠くから眺めている高位の人がいた。 
あれほど曹操に近づけるのは劉備しかいない。 
劉備を暗殺者にすれば曹操をたやすく殺すことができる、と考えた董承である。
 … 曹操がくつろいで劉備と歓談しているとき、 
「いま天下の英雄といえば、ただ君とわたしだけだな」
と言った。英雄と言われて、劉備はさじと箸をとり落とした。それはおそらく劉備の心の声とまったく同じことを曹操が言ったからである。劉備はいかなる境遇にあっても自分が天下第一の英雄だとおもっており、戦いでどれほど負けてもそれは仮象にすぎず、恥辱をおぼえる必要のないものであった。絶対の世界に生きている劉備にとって、他者はいなかった。だが曹操の近くで生活するようになって、はじめて相対を得た。つまり劉備にとって最初の他者とは、コウソンサンでも呂布でもなく、曹操であった。ゆえに天下の英雄は自身と曹操しかいない。 
このあと劉備は董承、チュウシュウ、呉子蘭、王子服らと謀を練ったといわれるが、独行の人である劉備は人を利用することも、人から利用されることも好まないので、それは曹操とは対蹠的な位置を劉備に与えたい後世の史家がひねりだしたものであろう。劉備が考えていたのは、どのように曹操や董承から遠ざかるかということであったにちがいない。ほどなくその好機がきた。 
「袁術がうごきました」 

三国志5 宮城谷昌光p.260.