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亡をおせ。

小沛にいる劉備から急報がとどけられた。呂布が袁術と交誼をおこない、呂布軍が沛城を包囲しているという。城兵は疲れ、もはや防ぎきれないという劉備の悲痛な声が書面にみちていた。 
「劉備を援けよ」 
曹操は迷わず夏侯惇に命令をくだして小沛へむかわせた。
… 高順は夏侯惇がくることを知ると、張遼に城の包囲をまかせて迎撃の陣をしき、一撃で夏侯惇を大破した。… 劉備はまたしても妻子をうち棄てて逃げた。敗報が許へ続々と到着した。 
「わたしが征かねばなるまい」
 曹操はたとうとした。が、諸将はいっせいに反対した。
「劉表と張繍がうしろにいるというのに、遠征して呂布を襲うのは危険すぎます」
 しかし荀攸の意見は違った。 
「劉表と張繍は安衆において敗れ、それからさほど月日が経っていないのですから両者はあえて動こうとしないでしょう。呂布は驍猛であるうえに、袁術をたのんでおり、もしも淮水と泗水の間を縦横に駆けられると、豪傑たちはかならずそれに応じます。呂布は朝廷に叛いたばかりであり、人々の心がひとつにまとまっていないこの時につけこめば、かならず呂布を破ることができます」 
袁紹とも劉表とも結べない呂布は孤立することを恐れて袁術に恃憑したが、荀攸にはそれが自滅の路に踏みだしたようにみえる。 
亡を推せ。 
というのが上古、殷の湯王の天下平定を佐けたチュウキのことばである。亡ぶ者をおして倒せばよい。それが王者の戦略であり、いまがそれにあたる。   

三国志5 宮城谷昌光p.211.