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唐の時代と善導

「近ごろ山僧善導なるものあり。天下を周遊して求道の師を尋ねもとめたが、ついに山西の山寺における道綽教団に出会って、ただ念仏弥陀浄業を実践する信に入った」
『続高僧伝』道宣 


「既にして長安に入り、広くこの化を行い、『弥陀経』数万巻を写した。士女の奉ずる者、その数無量である。時々光明寺にあって説法す」
同上 
時に善導35歳の頃である。 

わが国大谷光瑞が派遣した中央アジア探検隊がトルファン遺蹟から得てきた、唐代の『阿弥陀経』写本があって、その跋文に、「願往生比丘善導願弥陀…」とある。「弥陀経数万巻を写している」善導の行跡を証するものといえよう。 

大慈恩寺は648年、皇太子(李治・ドラマ武則天ではまだ少年・チヌ)が故文徳皇后のために建てた華麗な大寺院である。この年(貞観22年)10月、寺の落成近づくや皇太子は勅旨を奉じて寺のために300僧を度し、別に50大徳の指導的高僧を請待して、長安仏教界の中心的霊域とした。太宗(李世民・ドラマでは目力あるナイスミドル)や文徳皇后は、唐創業の記念地太原県の道綽にふかく帰依した。その直門弟にして熱心な専修念仏の行者として、長安に来て熱烈な説法教化に無数の士女の師となっていた善導が、名誉ある50大徳のひとりに選ばれたことは確実といえる。老師道綽の寂後3年のことである。
道綽の令名は善導がそのまま継承して、浄土教宣布の花形として登場した。もっともよき時代に、曇鸞・道綽系の浄土教完成者として出発しえたのが善導であった。 

参考文献 
仏教の思想8 角川ソフィア 塚本善隆p.178,180,182,183.