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浄土教美術儀礼

645年道綽が玄中寺で84歳の生涯をとじてから数年、ひとりの修行僧が訪れた。
「浄土に生きたいと誓願しているドウギンと申す僧です。この寺は、わが師と仰いで慕っていた道綽禅師の念仏の寺であり、往生の聖地と承ってはるばる登って参りました」、と一幅の浄土三尊図(浄土変相)をとりだして、「つたなくともわたしが供養をうけたすべてのものを捨てて一心こめて画いたものです。生前の大師から親しくお導きを得られなかったわたし、せめて大師の墓前でこの浄土の尊像を供養させてください」。
ドウギンはこの三尊図をかけて日夜に礼拝し、道綽の墳墓を廻って称名一途の行につとめた。夜、金色の沙門(道綽)が白雲に乗ってきて画幅をながめて、「誠心に礼拝供養せよ。永く悪趣(地獄・餓鬼・畜生)を離れて、必ず極楽に生まれる」と告げた。ドウギンがいよいよ誠心こめて尊像礼拝と墳墓の行道念仏を続けると、一夜半、画の阿弥陀仏が真身の仏と現れて、「汝の画いたわが身像は変じて真身となり必ず汝を迎ふべし」と慰めるのを聞いた。そして彼は正念端座、合掌西向し、「一生の行業は次の生をうみて流転せしも、今こそ浄国に生まれて永く退転せず」と遺偈をのべて逝った。これから西方浄土変相を画いて供養礼拝するものが多くなった。
これは遼の燕京(今の北京)に住んだ僧非濁の『随願往生集』から、わが国で鎌倉初期に抄出された『往生伝』にあるもので、非濁の説話文学は平安末期から鎌倉時代に大きな影響を与え、『今昔物語集』にも説話を提供したものである。 

道綽の門から、大唐旭日の都長安におもむいた善導がでた。時まさに長安は世界文化を集め、キリスト教・マニ教・マホメット教なども伝わり、世界都市として繁栄を誇っていた(ドラマ武則天の時代です)。長安で活動した善導は、曇鸞・道綽の浄土教義を整然と組織化するとともに、浄土図をはじめとした美術や、讃美歌や、懺悔を総合した宗教儀礼を制定実践するのである。 

参考文献 
仏教の思想8 角川ソフィア文庫 塚本善隆p.174~177.