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世界を飾る。

悪の問題について続きです。 
まず善のはたらきの主体について。 
「善をなす根源は神の恩恵である」すなわち
「キリストの信仰においてのみ義とされることができる」
そして多くの信仰の友があって、その友達がみな一つのキリストにおいてはたらいている(教会)。 


「父なる神は今に至るまではたらいておられる」
創造は絶えず続いている。それなのに創造を過去の出来事ととらえるから「何故悪があるのか」という問題が起こる。キリストとは救い主の意味だけでなく、御言(みことば)による新しい創造の始まりという意味も持つ。キリストを通して今も世界は創造されつつある。キリストを信じ善く生きることによって一人一人が創造の一部をになう。自分が世界の一部として自覚される、しかもそれが、単に偶然的なあってもなくてもよいちっぽけな一部ではなくて、世界を成り立たしめている本質的な一つの部分として自覚される。 

「創造」は今も行われ世の終わりにおいて「まことに善し」と完成するのだと考えると、「悪」はなんらかの意味ですべて善に秩序づけられ、「すべて善に転ぜられるべき課題」としてみえてくる。しかしその課題を実現することは人間の力ではできない。それはキリストによって、キリストにおいて行われる。 アウグスティヌスは晩年、『エンキリディオン』という書物をまとめている。その中で彼は言う、 「神は悪をも善用なさるほどに全能であり善なる方である」と。 

参考文献 
アウグスティヌス講話 山田晶p.158,160,174,176,177,178,179.