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妨げのない状態

「ここ(観自在菩薩の観点)にはいかなるダルマもないから、菩薩は般若波羅蜜多を拠り所として、妨げ(もろもろのダルマ)なく安住している。妨げがないので、恐れがなく、ないものをあると考えるような見方をのぼりきっていて、まったく開放された境地にいる」 
以下「真釈 般若心経」宮坂宥洪著p.174,189から。
 「涅槃」は普通は次のように説明されています。
 「吹き消すこと。燃え盛る煩悩の火を吹き消して、悟りの智慧を獲得した境地をいう」 
どの辞典にも例外なく、ほぼこれと同じ説明がのっていますが、私はこの説明は間違っていると考えます。
なぜ上記の辞典のような説明がなされているかというと、ニルヴァーナの語源が、「風が吹く」という意味の動詞語根「ヴァー」から派生した名詞だと考えられているからです。これに「ニル」がつくと「吹いてなくす」という意味になります。ニルヴァーナが「吹き消すこと」というのはそのとおりなのですが、「燃え盛る煩悩の火」といった意味はありません。涅槃という重要な語を解釈するのに、原意にないものをたえず補わなければならないというのも面妖な話です。
…かりに「燃え盛る煩悩の火」を補って、「煩悩の消滅」を涅槃だとすると、実は困ったことになります。
もし涅槃が「煩悩の消滅」という意味ならば、それはダルマの体系の中の「無為法(生滅変化を超えた常住なもの)」のひとつにかぞえられてしまいます。それは観自在菩薩のレベルでは「ない」とされるべきものでしょう。本段において涅槃は肯定的な意味で用いられていますから、そうした意味(煩悩の消滅)ではありえないと思うのです。
…空海は『般若心経秘鍵』で、「妨げのない自由な境地が涅槃に入るということである」と解説しています。これは「燃え盛る煩悩の火」などとは無関係の解釈です。空海は明らかに「ニルヴァーナ」の語根は「ヴリ」と考えていたと思われます。
ニルヴァーナの語源は「ニル・ヴァー」ではなく、「ニル・ヴリ」なのです。これは、「覆う」という意味の動詞語根ヴリに否定の接頭辞ニルがついたものです。
空海の解釈によりますと、「妨げなく安住している」という文と脈絡がぴたっと合う、ということにお気づきでしょうか。
「覆いのない、妨げのない状態」が涅槃なのです。そのような状態まで「ない」としてしまえば、『般若心経』はまるで意味不明の経典になってしまうでしょう。本段で涅槃はしっかりと肯定されています。このことからも『般若心経』は何でもかんでも「空」といって否定しているのではないことがおわかりいただけるでしょう。


  

開放的な広がりがどこまでも続く

「観自在菩薩の観点においてはいかなるダルマもない」 
これは虚無ではないだろう。
空はよくわからない。
虚無は妄想、有は夢幻のよう。空は無限? 
以下「真釈 般若心経」宮坂宥洪著p.107から。
 「シューニャ」という語は「膨らむ」という意味の動詞から派生した名詞で、「膨らんだ状態」というのが原義です。…実は「空」の最も本質的な意味は「まったくの開放的な広がり」です。視野を妨げるなにものもなく、開放的な広がりがどこまでも続く、見晴らしのよい見地に立つといったらよいでしょうか。




このように学べ。その2

「舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 
舎利子よ、この諸法は空相なり。不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり」 

法はダルマという。実はダルマという語に法則・規範・正義・善・教えという意味があったわけではなく、ダルマの原意は「保持されるもの」である。ダルマに多様な意味があるといってもこの原意から離れたものはひとつもない。たとえば規範とか善は人間によって保持されるべきものだからダルマに規範とか善とかの意味がうまれたのである。インド人はダルマと聞くと、それが文脈によって善とか教えとかたとえどのような意味で用いられていようと、それはどこに存在するか、その場所はどこかということを反射的に考える。これも「保持されるもの」という原意からすれば当然のことといえる。 

空相の「相」の原語はラクシャナであり、特徴という意味だ。この箇所のサンスクリット原文は「諸法は空を特徴としていて、不生にして不滅…」となる。「諸法は空を特徴としている」とは「諸法は空である」ということだ。 不生不滅という言葉は一般にかなり誤解されている。たとえば「生じもせず滅しもせず常住であること」といわれるが、『般若心経』ではそういう意味に使われてはいない。不生不滅とは、観自在菩薩の観点においてはいかなるものもない(諸法は空である)ので生じるとか滅すということもない、ということである。 

真釈 般若心経 宮坂宥洪p.114,116,130,144.




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