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劉備を征伐する

官渡の台上で北の天を眺めていた曹操は、 
明年かならず袁紹は攻めてくる 
と、全身で感じた。すでに気が北から押し寄せてきている。その気に押し潰されたら、実際の戦いでは敗退が必至である。ひとつの僥倖が曹操を支えてくれた。南陽郡の張繍が中立を守るだけでもありがたいのに、わざわざ許まできて軍の一翼をになってくれるのである。 
天佑とはこれであろう。 
もはや西を気にしなくてよい。そう天がおしえてくれている。が、天の誨示はそれで終わりではあるまい。天佑に甘えないことが肝腎であり、東の患害はおのれで取り除かなければならない。東の患害とは劉備である。劉備を放釈しておけば、袁紹との対決のさなかにかならず害をなす。劉備の行動には常識にかからないところがある。 
「劉備を征伐する」 
年が明けるや曹操はそう宣べた。 諸将は仰天した。王朝の吏人まで袁紹軍を迎撃する心の準備をはじめているというのに、帝都をあけてよいものであろうか。 
「公と天下を争っているのは袁紹です。まもなく袁紹が軍とともにくるというときに、かまわず東征なされば、袁紹に乗じられてしまいます」 
諸将は異口同音であった。曹操は強い語気で言った。 
「劉備は人傑である。いま撃たなければ必ずのちの患いとなる。袁紹は何事もしかけるのが遅いので、ここでも決して動くまい」 
この予断が誤っていれば曹操は破滅する。が、天下を掌握するという大事業を遂行するためには、一度や二度は宙を飛び地に潜るような奇術をおこなわなければならない。
あらかじめ曹操の内意を知らされて賛同した郭嘉は、
「袁紹は事を起動させるのが遅く、ためらいが多い。襲来するにせよ迅速ではないはずです。劉備はあらたに起ったばかりで、まだ民衆の心をひきつけてはおりません。急襲すれば必ず破ることができます。これは存亡の機であり、失ってはなりません」
「善し」 
曹操は敢然と軍旅を催した。 
天意に従うとはこういうことだ。

 三国志5 宮城谷昌光p.285.




カク

袁紹にとって形勢は悪くない。劉備が曹操に敵対し、しかも交誼を求めてきた。西南に目を向けると、荊州の南陽郡には張繍がいる。張繍は曹操軍を破ったことのある武烈の将であるから、袁紹が北から許を攻めたとき、西から曹操をおびやかしてくれるであろう。張繍と内約を結んでおく必要がある。袁紹はひそかに南陽郡へ使者を遣った。
使者に面会した張繍は、「おお、袁将軍がわたしを招いておられるのか」と、喜色満面となった。張繍の明朗な容態をみた使者は、もはや使命を果たしたも同然であると安心した。だがこの和悦のふんいきは一変した。
袁紹の書簡を読み終えて黙考していたカクが、目をあげ首もあげて使者を強く凝視し、「帰って袁本初にこうことわるがよい。兄弟さえあいいれることができないのに、どうして天下の国士を容れることができようか、と」と、怒鳴りつけるように言った。使者は顔色を変えて立った。
おどろいた張繍は、「そこまでいうことはなかろう」と、とりつくろったが、憤然と去ろうとする使者をあえてひきとめず、「こうなったら、たれに帰順すればよいのか」と、カクに問うた。
「曹公に従うに如かず」 

三国志5 宮城谷昌光p.278.




暗殺は主義じゃあない。

劉備の才徳は計料しがたい。 
人というものに大いに関心がある曹操は、えたいの知れない人物にも関心をもった。劉備という容姿はたしかに眼前にあるが、じつはこれは幻影で、目に見えぬ所に本物の劉備がいるのではないか。それをおもしろく感じるか、うすきみわるく感じるかは人によって違うであろう。とにかく曹操は、 かつてこういう男をみたことがない ということだけで劉備を珍重した。
河内郡の攻略を終えて帰還した曹操は、外出するときは劉備とおなじ輿に乗り、坐るときは席を同じにした。劉備が殊に厚遇されているのを遠くから眺めている高位の人がいた。 
あれほど曹操に近づけるのは劉備しかいない。 
劉備を暗殺者にすれば曹操をたやすく殺すことができる、と考えた董承である。
 … 曹操がくつろいで劉備と歓談しているとき、 
「いま天下の英雄といえば、ただ君とわたしだけだな」
と言った。英雄と言われて、劉備はさじと箸をとり落とした。それはおそらく劉備の心の声とまったく同じことを曹操が言ったからである。劉備はいかなる境遇にあっても自分が天下第一の英雄だとおもっており、戦いでどれほど負けてもそれは仮象にすぎず、恥辱をおぼえる必要のないものであった。絶対の世界に生きている劉備にとって、他者はいなかった。だが曹操の近くで生活するようになって、はじめて相対を得た。つまり劉備にとって最初の他者とは、コウソンサンでも呂布でもなく、曹操であった。ゆえに天下の英雄は自身と曹操しかいない。 
このあと劉備は董承、チュウシュウ、呉子蘭、王子服らと謀を練ったといわれるが、独行の人である劉備は人を利用することも、人から利用されることも好まないので、それは曹操とは対蹠的な位置を劉備に与えたい後世の史家がひねりだしたものであろう。劉備が考えていたのは、どのように曹操や董承から遠ざかるかということであったにちがいない。ほどなくその好機がきた。 
「袁術がうごきました」 

三国志5 宮城谷昌光p.260. 


 

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