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発菩提心品

Eテレこころの時代・マンダラがおもしろそうだ。
   龍樹の仏教 細川巌p.128 
「初発心がすべての願の根本である。初発心とはどのようなものか」 
「初めて菩提心をおこすには三、四の因縁あり」 
「 
一には、如来が衆生に発心をおこさせる。
二には、仏法の崩壊を見てこれを守護しようとしておこす。 
三には、苦悩の衆生を見て大悲をおこして発心する。 
四には、菩薩の教導によって発心する。 
五には、菩薩の行業を見てそのようになりたいと願っておこす。 
六には、仏や僧に布施することによりそれが縁となって発心する。 
七には、仏身の相貌を見て歓喜して発心する」
 「これらの七つの因縁で発心すれば、みな発心が長く続いてすべて成就するのか?」 
「かならずしもすべて成就するとは限らない。成就するものもあり、成就しないものもある」 
「それを詳しく説明してもらいたい」 
「七発心のうち、仏が教えて発心させたものと、仏法守護のため発心したものと、衆生を大悲しておこした発心との三者は必ず成就する。しかしその他の四つの発心はかならずしもみな成就するわけではない。これらの場合は成就しないことが多い。それは発心の根本が微弱であるがゆえである」

 初発心は求道の出発点であって、これなくしては入初地はおろか、そもそも仏道への踏み出しがなされない。 
仏が教えて発心をおこさせるという第一の因縁は具体的にはどのようなことであるのか今は明瞭でない。第二の護法、第三の大悲は、出発点におけるわたしでは到底おこりえない。わたしは第四の菩薩の教導により発心するという因縁が最も当っている。これはわたしだけでなく大部分の人が、第四および、第五の菩薩の行業を見て発心する因縁に当っていよう。この衆生(わたし)は発心しても成就しない。しかし一部の人は成就するという(あとでわかる)。成就しない者の相が次の調伏心品に述べられている。 
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*第七の因縁の「仏身の相貌」は仏像のことか。ほんとうの仏身(無量光明)を見たならば即座に入初地するから(釈願品でみた)。




釈願品その4

今日は花まつり。
 龍樹の仏教 細川巌p.122 
次に「略して浄土の相を説かん」という。 
「菩薩よくアノクタラサンミャクサンボダイを得て仏功徳力と法とを具足し、声聞を具足し、菩提樹を具足し、世界を荘厳し、衆生を善く利し、度すべき者多くして、大衆集会し、仏力具足す」 
ここから衆生過悪・行業過悪を転じて、衆生功徳・行業功徳を成ずるはたらきが生まれる。これを浄仏土という。この浄土の相は、「菩薩よく種々の大精進を行じて成就」するものであり、その本願によるものであると述べられているが、その菩薩とは一体誰であろうか? 浄土の相の中の仏功徳力具足について、龍樹は次のように述べている。 
「この仏功徳力には寿命無量にするものがある。仏を見る者を即座に必定に入らしめるものがあり、あるいは名を聞く者を必定に入らしめるものがあり、あるいは無量光明をもって即時に衆生を必定に入らしめるものがあり、あるいは光明をもって一切苦悩を滅ぼすものがある」
寿命無量・無量光明とはアミターユス・アミターバであり、つまり阿弥陀仏である。




釈願品その3

   龍樹の仏教 細川巌p.119,120,121. 
不浄は、一つに衆生の因縁によって生ずる、すなわち人間悪によるもの、二つに諸行因縁による、すなわち社会悪による。 
人間の迷い誤りが因で、これに種々の縁が加わり、悪業が生まれる(人間悪)。無信・懈怠・愚痴・慳貪・嫉妬・怒り・邪見・驕慢・不誠実などが迷妄である。殺生・偸盗・邪淫・悪口・放逸・多欲・不忍辱・短命・無気力・多病などが悪業である。これらを衆生過悪という。
社会悪とは、悪獣・悪賊が多く、土地の高低が多く、道路がなく、土地がやせ、植物が少なく、瓦礫が満ち、人の心を慰める風景もなく、荒地が多く、住民は少なく、大政治家も大商人も立派な医者も甚だ少ない。いろいろの生活用品を得ることも困難である。これを行業過悪という。このような悪環境によって生まれた悪、たとえば殺人・強盗・伝染病などを諸行過悪という。さきの衆生過悪とこの諸行過悪をあわせて、これを不浄という。
この不浄がもし転ぜられると、衆生過悪は衆生功徳となり、行業過悪は行業功徳となる。この二功徳を浄土という。 
「まさに知るべし、この浄土は諸菩薩の本願因縁に随う。諸の菩薩、種々の大精進を行ずるが故に、所願無量にして説き尽くすべからず」 
浄土は菩薩の本願を根本とした大精進によって生まれる。したがって仏と浄土は離れない。仏がなければ浄土はない。
第七願は、菩薩が仏になって浄仏土をもち、この場のはたらきで衆生過悪と行業過悪を転じて衆生功徳と行業功徳を成就するという願である。そのため菩薩はまずみずから浄土をつくろうとする。この願は
「浄仏土の故に諸の雑悪を滅除せんと願う」
といえる。




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